だから、やらないといけなくなるのです。
やらなければいけないこと。
それは、楽しいものでしょうか?
そうではなさそうですよね。
勉強とは本来、楽しいものではないでしょうか?
もし、楽しくなんかない、というのでしたら、それは、やらされていた、自分がやりたくもない勉強だったと言えるのではないでしょうか?
知らなかったことを知れる。
今までわからなかったことがわかるのです。
これって、すごいことではありませんか?
少しずつ、本題に戻していきますが、本来、勉強とは、そのような楽しみを得られる(リターン)があるものではないでしょうか?
しかし、忙しいと、とにかく終わらせなければならないという気持ちから、早く楽になるため、お母さんに怒られないため、内申点が下がらないため、そういうリターンを得るために勉強をしていく傾向になりがちになります。
いえ、勉強するというか、ある意味、作業をこなすとも言えましょうか。
もちろん、それに対する反論もあると思います。
多少嫌なことでも、やっていく内に結局はいろいろな知識が増え、勉強が面白くなっていくケースもあるのでは、という見方です。
勿論、そういった体験をされている方も多いと思いますし、そのことの否定は致しません。
しかし、同じやるなら、楽しいほうがいいのではないでしょうか?
楽しいから、頭に入るし、もっと進んでやりたくなるし、やればやるほど成績も伸びていくから、いいことづくしです。
話を元に戻しますが、忙しいと、どうしても、目の前のことをこなす感じになる傾向になりがちです。
よく、ワークブックなどの課題で、間違えた箇所については、赤字で書き直して提出しなさい、という学校があります。
お子さんによっては、文字通り、赤字で書いて提出するだけ、になってしまいがちです。
そうです。自分が何故、間違えたのか、いわゆる、正しい知識を得ないまま、理解せぬまま、通り過ぎてゆくのです。
ここで、また新たな問題が浮上してきます。
そのお子さんは、勉強をやった、と思ってしまうことです。
これが、勉強をやった、ということでしょうか?
勉強とは、知らなかったことを知れる、学べることではないでしょうか。
そうだとしますと
勉強は済ませたという”錯覚”です。
これは勉強ではなく、わかるところをなぞったということではないでしょうか。
勿論、既にわかっていることを答えることにより、さらにそのことの認識が深まるので、効果が全くないということではありません。
しかし、大切なことはもう一歩先です。
つまり、最も大事な、知らなかったところを知れる機会が抜け落ちてゆきます。
しかし、都合の悪いことに、一応それでやることはやったので、子どもさんも勉強は済ませた、ということになるのです。
実際は、自分のわかるところだけ書いて、わからなかったところは解答集を見て、赤字で書いておいた、というだけなのです。
私も過去、数多くのお子さんと接してきたからわかるのですが、こういうお子さん、多いです。
一方、勉強する意欲のある子や、もともと何にでも知的好奇心が旺盛な子は、この例に当てはまらないこともよくあります。
余談ですが、意外にも親御さんがお子さんの勉強に無関心な場合、自ら進んで勉強したがるお子さんが稀にいらっしゃいます。
これも非常に興味深いお話ですので、別稿で触れたいと思います。
話を戻します。
”勉強を済ませた”という錯覚から、何が起きるか―
勉強するのはしてるんですけど、成績が上がらない、のです。
こういうお子さんはほんとに多いです。
中学校の定期テストの後もそうです。
テスト直し、と言われる課題があり、これもまた、間違えたところに赤字で正答を書いて提出するのです。
(つづく)